夏休みが終わるまであと少し

お兄ちゃんズがキャンプから無事に帰ってきました。
たった2泊3日のキャンプだったのですが色々経験出来たらしく。長男からは人生で一番楽しかった!とのお言葉を頂きました。アリガトー
手術から抗がん剤終了までの半年間、あまり構ってあげられなかったので楽しんでくれて何より。

私はこの前、久々主治医に会いに行き、転院が決まりました。
主治医の居る病院は遠いため、放射線治療は別のクリニックで行うこととなりました。
主治医からは「治療終わったら帰ってきてよ!」と言われました。帰りますとも!
なかなかの変化球を投げてくる主治医ですが嫌いではありません。笑

さあ。治療にも夏休みをもらった訳ですが、9月からまた治療の始まりです。その前に書きたい発覚~の話が進みませんがこれからボチボチ。

体にも沢山の変化がありました。
残っていた毛髪、眉毛、睫毛が全て抜けたのと同時に全て生え始めまして、産毛祭りワッショイです。
左手のしびれがほぼなくなり、1日中歩いてもなんとか起き上がれるレベルに。
むくみもほぼなくなり、見たことのある太さに戻った足。相変わらず太いな!チクショー

こうして私は癌であったことを忘れていきたい。
頭のどこかに「再発」という言葉をちらつかせながらも。
私にはまだ守るものが多すぎるのですよ。

夏休みは忙しい

3人の子に追われる夏休み。
全くブログが進みません。

とりあえず抗がん剤が終わって1ヶ月経ったのに痺れや痛み、浮腫みが治まらないどころか今さら眉毛、睫毛が全部抜けました!!抜けたのよ!抜けるなんて!抜ける時ー!!!ですよ。

生えてきたと思った腕、足の毛も伸びる気配はなく。
まだまだ色々やられております。
チクショー

ラスト抗がん剤の副作用にやられております

痛み、むくみ、下痢、眠りの浅さ、めやに、味覚障害、今更ながら睫毛と眉毛の脱毛。なのに腕、足の毛は生えてきた!どういうこと。最後の最後まで副作用にやられております。

むくみで酷い足を見て、なんか歩けばどうにかなるんじゃね?と、歩いたら足の感覚が無くなって偉い目にあいました。
おとなしくしておきます。ハイ。

チクショー

二度目の細胞針と検査の話

紹介先病院の土地勘が一切無かったので、前日に下見へ行ってみて愕然とした。
その病院は見た目が古くて畑の中にポツンと建っていた。一気に不安になる。

当日は10時までに到着しておく必要があった為、自宅を8時半に出る。
紹介状を受付に渡し、外来に案内される。
医師の名前が診察室3番に書いてあった。

もう既に癌と宣告されている為、なんの不安も無かった。
なんでこんなに不安が無いのか。
昔から私は何があっても死なないという根拠の無い自信がそうさせているのか、現実逃避なのかわからなかった。
しかしそこは主人も一緒で、帰国して最初の一言が「大丈夫だぁ。」だった。

しばらくして診察室に呼ばれ中に入ると眼鏡をした細身の優しそうな先生が挨拶をしてくれた。

前の先生からどう聞いてる?
あぁ全部聞いているんだね。
ご主人は来られてない?(長男の参観日に行ってもらっていた)
今日、このまま検査と話を進めてもいい?
いい?分かった。じゃぁ検査していこう。

一通り話をして、再度エコーを撮るよと横になる。
ここだね。と、しこりの部分に何度もエコーを往復させる。
サイズを計り、1.5~8といったとこかな。。と呟いた。
そして申し訳なさそうに今度は大きい針で細胞診をすると伝えてきた。
その瞬間には麻酔が用意されており、針が大きいから麻酔するねと言った瞬間には麻酔が刺さっていた。乳腺の先生は何かと素早い。

細胞診の後、看護師さんが大きなガーゼで胸を押さえてくれる。先生がカーテンの外に出て、手術が必要だからもう日程を決めてもいい?と言ってくれた。もちろんです!と元気に答え、日付を指定してもらいその日で大丈夫だと答えた。

その瞬間、今までに無い感情が生まれ、癌と告知されてから初めて泣いた。手術が必要な病気なんだなと改めて理解したらなんだかどうしようも無くなった。
看護師さんに溜めちゃダメ。流して。拭いてあげるから!と言われて更に涙が出る。

先生がたっぷりと時間を取ってくれ、せっかく遠くから来てくれたから出来る検査を全てしようと言ってくれた。

血液検査、尿検査、心電図、胸部レントゲン、呼吸器機能検査。入院前の案内、説明。
10時前に到着し、全て終了したのは夕方だった。

主人が子供たちと病院に迎えに来てくれた。
長男が泣いていた。参観日はお母さんに来てほしかったと。
ごめんね。今後、こんな事が増えると思う。ごめんね。と抱き締める事しか出来なかった。

子供たちにお母さんは癌だと伝えた話

クリニックで告知を受け、さて自転車で帰ろうとしていたら末子を預かってくれている友達から電話が掛かってきた。
「タクシーで帰ってきな!!」海か川にでも落ちないかと心配になったらしい。
笑いながら真っ直ぐ帰るし!と伝えた。
実際真っ直ぐ帰れたし、冷静だった。
友達の家で昼ごはんを食べて、今後の事を話して幼稚園児のお迎えをして別れた。
小学生の長男が帰ってきて、晩御飯時、3人に話があると切り出す。

その時、長男は小1、次男は年中、長女は3歳。
子供が理解できる言葉を探す。
主人はまだ海外出張中だった。

癌って知ってる?

きいたことある!
知らなーい。何それ?

あのね、体って細胞ってのから出来てるのね。
おかーさんの細胞の一部が悪い細胞になっちゃってさ。それが癌って言うんだけど、悪い細胞がいい細胞までも攻撃して悪い細胞にしようとしてるの。

いい細胞を攻撃したらどうなるの?

沢山攻撃されたらさいあく死んじゃう。

おかーさん死ぬの?

まだ死なない。ただ、そんな悪い細胞がオッパイに出来ちゃったの。死なない為にそれを取る手術をすることになりそうなの。

へー!いつー?

まだ決まってない。明明後日大きな病院で調べてもらうんだよ。

取れば治るの?

それはまだわかんない。もしかしたらオッパイじゃないとこにも癌が出来てるかもなの。

そうしたらどうするの?

お薬でやっつけたり、また手術をするんだよ。

そうしたら大丈夫?

きっとね。

ふーん!そうかー!なーんだ。

さすが私の子供たちである。
理解してない!当たり前か。
でも、手術をするということ、今は死なないという事はわかったらしい。

ストレートに伝えたのには訳がある。
私の実家は遠くて直ぐに手伝ってもらえる環境ではない。
入院となると私の母が来ることになり、入院と伝えていなければ突然来る母と突然いなくなる私を子供達は心配するだろうし、母が誤魔化すのにも限界がある。
そして、主人は当時海外出張が多く、なかなか頼れる状態ではなかった為、通院の際、友人に預かってもらう事が増えると予想されたからだ。

その都度誤魔化す訳にはいかないと考えた。

結果伝えて良かった。

伝えたからこそ、うちでは癌という言葉が飛び交うし、子供達は私のオッパイをみて癌無くなったよね?と優しく撫でてくれる。
娘に至っては自分の胸を触って自分のオッパイは大丈夫か?と聞いてくる。
抗がん剤の度に副作用大丈夫?と聞いてくれる。

これでいいのだ。
私は堂々と癌患者になろうと決めた。

抗がん剤ラスト!

本日で4月から始まった抗がん剤がすべて終了しました。
長かった!

主治医が学会で居なくて、いつもお世話になってた看護師さんもいなかったけど。いなかったけど。
とにかく無事おわりました。

白血球をあげるジーラスタを本来であれば明後日に打ちにいくのですが、スッパリ止めにしました。
このあたりも過去の話が追い付いたら書き留めます。
とにかく、この支配からの卒業ー!

1ヶ月後から放射線治療だけどね。
チクショー

マンモと癌告知の話

マンモ技師さんにも上手い下手が居るんだなーと、思いながらオッパイを挟まれていた。1週間後のマンモである。実に13年ぶりのマンモ。

オッパイをギュウギュウに挟まれながら私は看護師の友達に申し訳ない事をしてしまったと思っていた。

恐らく私は今日、癌の告知を受ける。

なんとなく、直感的にそう感じた私は結果をもう知っているであろう友達に何かを背負わせてしまった気がしていた。
同じく癌と知っているであろうマンモ技師さんの控えめな明るさにも申し訳ない気がしていた。

診察室に呼ばれる。
友達が私からは見えない角度に座った。
少しの前置きの後、やはり先生は悪性という言葉を口にした。
乳ガンだ。

簡単に癌の状態を説明してくれ、早い段階での発見だと話してくれた。
「ここまでで何か質問はある?」という問いかけに私は「はぁ。。。」と、ため息とも何とも言えない声を漏らした。そうだよな。そうなるよな。と先生と友達と笑った。

クリニックでは手術が出来ないため、2つの病院の名前を出してそれぞれの病院の特徴を話してくれる。
内、片方の病院であれば今すぐに電話をして話をつけてくれるという。
迷うこと無くそちらの病院を選んだ。
先生は「よし。」というと、携帯を取り出した。
「あ。どうも。お疲れさん。今少しいいかな。またさ。お願いしたいんだ。」
先生が専門的な用語で癌の状態を伝えている間、私はボーッとそれを聞いていた。
直感的に癌と悟っていたのになんともしっくり来ない。癌。かぁ。

週明けに紹介先の病院に行くことになり、紹介状を書いてもらう間、誰も居ない待合室で末子を預かってくれている友達に癌だった事を知らせる。

海外出張中の主人に電話をするべきなのか悩んだが、時差があるのでラインに「ごめんね。癌だった。」といれた。

看護師の友達には診察室で挨拶をして別れた。後に知ったのだけど、友達はこの日、仕事中に体調が悪くなったのに私のために休憩室で待っていてくれたらしい。

この二人と主人には本当に頭が上がらない。ずっとずっと私を、家族を支えてくれている。